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2006年 06月 30日
2003年10月03日(金)記す。
ローザス「ワンス」 2003年10月2日(木) 彩の国さいたま芸術劇場大ホール1階A列13番 自分の本番の前日だってのに、ふつか前に電話してかぶりつきのど真ん中の席をゲット。これは運命としか言いようがないね。(笑) アンヌテレサ・ド・ケースマイケルのオールソロだっていうから、どうしても見たかったんだ。クリエイターの内面が出るに違いないと思って。今回はメモ取ったから少し印象以上のことが書ける、かな。 開場すると舞台がむきだしだった。上も横も暗幕を全部取り除いた舞台。茶色くて巨大な麻布が正面と上手に下げられている。座った場所柄、照明バトンのさらに上にある、高い高い舞台天井まで見渡せる。開放的な造り。というか、作品の空気を規定する舞台の枠組みにわざと無頓着を装った感じだな。 下手に木製の椅子。その奥に緑色の毛布。上手手前と下手寄り奥にプロジェクターが計二台。 踊るスペースは中央の黒いリノ張りのエリアと思われる。それを囲むように厚さ7mm(推定。つまりかなりぶあついんだ)のベニヤ板がしいてある。上手奥に、塗装された木製のハシゴのようなものがねかせてある。後ろまで下がってみたんだけど形はわからなかった。 上手奥、麻布の陰からダンサー登場。遠い。すごい大きな舞台なんだ。足をけりだして靴を脱ぎ捨てて、裸足で手前に歩いてくる。一声「once」。スタート。 衣装は紺の上下。半袖Tシャツと、両腿の出る位置に深いスリットの入ったスカート。紙は無造作なまとめ髪。ほつれを気にしている。 立つ。爪先立ち。緩んでたわむ。反動で左右に揺れが残る(ような動き)。内面からの動き。内面からボディを突き動かす動き。 手を前に挙げる。手に光。あ、会場前からずっと照明は変わってない。かぶりつきは、ダンサーの息遣いをかんじるには最高の場所だけど、照明がどういう空間を作ってるか見渡すには不適な場所だから。でもスタティックながら、考えられた灯りであることはこれでわかった(というか普通考えるよな)。 岡登志子(アンサンブル・ゾネ)を思い出した。何が違うだろう。ケースマイケルはボディが脚も突き動かす。 ここで正面に。リノを出てベニヤに乗ると照明から外れる。くらがりから、正面と上に手を伸ばす。何かを求めるような表情。二度暗がりへ出てきた。なんて訴えてるんだろう「抱いて」。ふとそう思った。 中央に戻って少し大きく動き出す。ターンのキレがよい。二番のグランプリエで腕を前に。考える、もしくは、攻撃的な、ポーズ。顔と腕にライト。 ここで初めて音がきた。『ジョーン・バエズ・イン・コンサート2』を全編かけっぱなしにするとチラシに書いてあったが、さすがにいくらか変化は加えてあった。のはもっと後の話。動きが変わる。思索から反応へってところか。また一声。「Once I had a sweetheart」、で、同名の曲に乗って踊る。奥の麻布の左下に、歌詞の字幕が出はじめる。「ダンスそのものに明示的なものがないぶん、歌われている内容を聞いてほしい」とチラシに乗っているが、なんの、このレコード(レコードである。舞台に流されたのは、ケースマイケル所有のレコードをCDに起こしたものだそうだ)を聞いていた若き日のダンサーの身体を通して、音楽のテーマでもある反戦/平和への思いは充分伝わってくる。 一曲めが終わったら彼女はTシャツを脱ぎ捨てた。背中中央に大きなスリットがあり、しかも常に背中が見えるようにブラウジングされた、凝ったカッティングのワンピースが現れる。 振りは繰り返しが多い、というか、モチーフが少ない。たまに歌詞にあわせたマイムのようなのをふざけ半分(?)にやってみせる。ターンは多いが一回転以上はしない。毛布をくしゃくしゃにして、頭を突っ込んでお尻を突き出して、あれは泣きながらベッドに身を投げる少女だな。毛布は違う時にはたたまれてその上でダンサーが三点倒立をやるときのクッションにも使われていた。 ときどき歌詞をつぶやいているのが聞こえる。 突然ボリュームが下がり、「We shall overcome」。本人が朗々と歌い上げた。 "Portland"。まえから思っていたんだけど、西洋人の踊りは空間より人間を見せる。それでも舞台の空気は変わる。日本人がやってるみたいな、空間を造るために身体を動かすんじゃないけど。感情が空間を支配する。 曲は続く。CD買っておけばよかったな。ダンサーは少女に見えたり老婆に見えたりする。 "Nobody knows"。 その次の曲がいちばん楽しそうに踊っていた。苦しい内省からすこしのあいだ開放されて踊りに身を任せたって感じ。動きが大きい。 音が切れた。音が消えても、彼女の中で音がしばらく鳴りつづけ、そして静かに消える、のがわかる。その間ダンサーは立っていた(だけ)。 "Three fishes moaning"。せつないうた。 "mockingbird"。くちぶえを吹いている。 舞台袖のライトは、(上手は麻布でふさがっていたし)下手にしか置いてない。そのライトの、顔の高さにある台に近づいて、羽をあけ、しばらく顔に光を当てていた。りくつじゃなく切ないシーンだった。音が鳴っていたか、覚えてない。 その後地灯りが消える。椅子にまたがって、背もたれをかかえて、後ろ向きに座る。一曲、背中にライトを当てるだけの時間があった。くらがりのなかで髪を結いなおした。そういえば今日は初日。ふだんの群舞の作品にくらべてラフな作り(あからさまに音響に合図を送ったりする)ははじめから意図されたものでもあるだろうけど、髪をとめきれないヘアピンを袖に投げ捨てたり、予想外と思われる動きも見られる。それがいい。そういうことが起こっても作品のテイストが変わらないように組まれてある。 さて椅子の背中だった。背骨と、太い太い背筋が、何かを溜めて、一度だけそって、曲は終わった。 舞台下手手前にレコードプレーヤがおいてある。台にジャケットが二つたてかけてある。途中で(曲がなっているのに)レコードをひっくり返した。その後何曲か踊った後レコードをしまうのだが、その前にはターンテーブルが本当に回っているようだった。その間はスクラッチノイズがひときわ大きかった。思うのだがダンサー所有のレコードから取った音はここだけではないのだろうか?販売されていたCDは市販品のようだし。当然リマスターされてるだろうし。ああ買えばよかった。 奥の麻布に大きく戦争の映像が映り始める。地明かりは暗い。ダンサーはドレスを脱いで黒い下着一枚になった。 映像の前で、最も端正なダンスを踊った。 まだらのからだ。 映像に映る大きな人影。 そして、曲は(作品は)終わった。ぷつりと何かきれたような気がした。ダンサーは奥へすたすたと歩き、靴をひろってはき、服をかかえて奥の麻布の間から去った。 見ていたときは、ラフで内省的な小品と思って気楽に見ていたのだが、一晩明けていまこうやって思い起こしていると、舞台の記憶から、じわじわと反戦への祈りみたいなものが自分に染み込んで来るような気がする。もう少し時間が経つと、まだ印象は変わるかもしれない。 というわけで、ケースマイケルの「ワンス」初日速報でしたー。
by swampland
| 2006-06-30 09:16
| 舞台等評
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